僕は過去に
「30日間カップ麺生活」という企画もやりましたが、あれの本当の目的は、
「カップ麺だけで1ヶ月間生活しても倒れない事の証明」では、
ありません。 カップ麺生活の真の目的は「一つの事象でも複数の原因、隠れた要因が絡み合って起こっているのです」という事です。
つまり、物事は多角的に検証する必要があると言う事です。 カップ麺だけを食べ続けて倒れた人がいたとして、ではその原因はカップ麺だけなのか?確かに栄養的にはいびつな食品ですが、食べ続けたといって倒れるものでは
ありません。 例えば極度のストレス抱えていた、過労気味だった、もともと体を壊していた、寝る場所や生活環境も不安定だった、などなど他にも要因はあるのかもしれません。
そういった部分まで考えに含め、多角的に大きく物事を観察しなさいという事が本当のテーマです。
「カップ麺を1ヶ月食べ続けると倒れるか?」というエントリで解説していますので是非読んで下さい。僕は、このエントリ一つを書くためにカップ麺を食べ続けたのです。
ただ、このエントリのためだけ、です。 「30日間マクドナルド生活」も同様で、本当に言いたい事は
「情報を鵜呑みにするな、疑え、考えろ」という事です。真のテーマは後ろに隠し、解りやすいエサで釣っているのです。
さて、前置きが長くなってしまいましたが、なぜ人は騙されてしまうのか。なぜくだらない都市伝説を、くだらないパフォーマンスを真実だと思いこんでしまうのでしょうか。それは、
「自分が信じたい事を誰かがもっともらしく言ってくれたから」です。要は、最初から信じたい事だけ信じ、見たいものだけ見てるのです。「やっぱりそうか、自分は正しかった」と、
安心したいのです。そして人は、安心させられたときに騙されているのです。 例えば宗教は不安だから信じます。不安を感じなければ宗教は必要ありません。宗教を信じていないというのは、幸せな事なのです。日本人の信仰心が薄いのは嘆く事ではなく、日本人がほどほどに幸せという事の象徴なのです。
そして、世の中にいる多くの信心深い人は、不安で仕方ないから宗教にすがって安心したいのです(宗教を否定はしません。道徳的な側面など一定の評価出来る部分はありますし、宗教無くして現在の社会は成り立たないと思っています)。しかし、宗教の中にはその不安と安心の取引の中で、信者から搾取するものもあります。信者は安心の代わりに例えば財産を差し出すのです。
つまり、騙されながら安心を手に入れている訳です。 それを否定する気もバカにする気もありません。その人にとってはそれが幸せであり、それで安心して生きていけるのなら構わないと思います。ただ、周りの人はたまったもんじゃないでしょうが。
さて、話が長くなってきました。長く書くといわゆる「見たいものしか見ない人」は読まなくなってしまうので書く意味が薄れてしまいますね。そろそろ結論に入りましょう。
つまり人は、安心するために自分にとって一番都合が良いものだけを信じます。例えば「ファストフードやコンビニ弁当、食品添加物が体に悪い、毒だ、食べ続けたら癌になる!」と信じている人がいたとします。いや、実際かなりの数いるでしょう。
そう言う人が安心を得るためには、そういった害のある食品を摂らない生活をすれば良いと
「信じ込めば」いいのです。自分は害のある食品を食べていない、だから健康に生きられる、という事を信じれば安心なのです。
まぁ、そういう人に限って交通事故で死んだりするんだけどな。と、不安を煽る演出↑。
人は安心と不安の間で揺れ動き、それを見抜いている悪人(便宜上悪人と書く)は、そこにつけ込んで安心と引き替えに何かを奪っていきます。いいですか?
安心を与えるという人は、必ずなにかを奪います。金だったり時間だったり、心だったり。 それでも良ければ安易な安心を手に入れて生きると良いでしょう。ソレは嫌だと思ったら、考えましょう。
物事多角的に、可能性を列挙し、大局的に大きく捉えましょう。 そうすれば、
なにも差し出さなくても自分の中で自分の力で「安心」を勝ち取る事が出来るのです。安心を買うか、安心を作るか。それは自分で決めて下さい。
そして、少なくとも、
僕から安心を得ようとしないように。僕は、悪人ですよ?気をつけましょう。

↑つまり安心の対価ですかね。
posted by マツモトケイジ at 12:39|
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コラム。